'



  媛媛講故事―26

                                 
  八仙人の伝節 Ⅵ 
                                   
                                何仙姑 (かせんこ)             何媛媛



 八仙人の中に、まるで緑の中に美しい一輪の花を見るように、紅一点・何仙姑と呼ばれる仙女がいます。

 八仙の絵姿を見てみましょう。その中に蓮の花を手にし、足の下に雲を踏む容姿端麗な女性がいますね。それが何仙姑なのです。

 何仙姑の伝承も色々ありますが、彼女は唐の女帝・武則天時代の人物で、広州増城県のあたりに生まれ、名前は何秀姑と呼ばれていました。父は豆腐屋を営んでいましたので、忙しく働く父親の手伝いを良くしていました。小さい頃から明眸皓歯の、見るからに頭の良さそうな子どもで皆に可愛がられていたそうです。

 何秀姑の故郷は、山や川の流れがとても麗しいところで、山に入れば仙人達が薬の調合に用いる「雲母」という鉱物を採取することができました。十四歳になったある日、何秀姑は山に山草を採りに行ったところ、白いひげを生やしたおじいさんに出会いました。そのおじいさんからその辺りの山や川についていろいろ訊ねられた何秀姑はその質問の一つ一つに詳しくはきはきと答えました。

 たいそう喜んだおじいさんは袋から大きな桃を取り出すと、お礼だといって何秀姑に食べさせました。その後、不思議なことに何秀姑は食事を口にしなくても空腹を感じなくなり、過ぎ去った昔のことや誰も予測できない未来を知るようになりました。そして十六歳になった或る日、かつて山でであった例のおじいさんにまた出会いました。おじいさんは「雲母を食べると、体が軽くなり、不老不死にもなるのじゃ」と言って雲母の食べ方を何秀姑に教えました。実はこの老人は呂洞賓だったそうで、何秀姑が只者でない素質のあることを知って仙人への道を導きに来たのです。

 その後、何秀姑は毎日山へ入っては雲母を食べるようになりました。とその内、まるで飛ぶように峰々を巡って走り回れるようになり、人々の為に山から薬草を採ったり、病気を診たり、求められて将来の禍福を予測したりするようになり、いつの間にか「何仙姑」と呼ばれるようになりました。

 「何仙姑」の話は、人々の口から口に伝えられ広く知られるようになりました。そして、何仙姑の噂は武則天にも伝わりました。食せずに峰々を走りまわるばかりか不老不死の術を身に付けた女性がいると伝え聞いた武則天は深い興味を覚え、側近に命じて、本当かどうかを調べに行かせ、「噂が本当なら、彼女に与えて欲しい」と、霞の色を彩った美しい衣装を持たせました。

 何仙姑がその衣装を受け取り身に纏うと、なんと体全体から虹色の光が放たれ、まるで神様が天から下ったようで、周りにいた人々は驚き慌ててお辞儀をし始めました。

 何仙姑は十八歳になりましたが、お嫁さんにしたいという人はなかなか現れません。何仙姑の名前があまりにも名高くなってしまったからでしょう。とはいえ、彼女は全く意に介さず、毎日薬草を採ったり、病気を治したり、山の奥へ行ったり来たりして充実した日々を過ごしていました。

 その後、何仙姑が仏教にも、道教にも詳しいと知った武則天は、何仙姑に不老不死の話を聞きたいと願い宮中に迎えました。武則天を訪ねた何仙姑は、不老不死の話だけではなく、国を治める策も進講し、武則天に大変感服されたとのことです。

 やがて二十六歳になった何仙姑は、鉄拐李、藍采和など、仙人達の招きで人間界を離れ、仙人界に行ったと伝えられています。しかし、彼女は仙人界に住むようになっても、人間界の苦しみを忘れず、人々のために天災や悪病を取り除き、様々な善事を行ったそうです。


     



                                *


                                 TOP